趣味徒然その2

映画の感想や、大好きな野球や、ゲームのプレイ日記など

球界、行く人くる人③『和田一浩元選手』


こんばんは!
この記事はなるべく毎日書きたかったけれも昨日は書きませんでした、もし見てくださっている方がいらっしゃいましたらすみません。

今日はちょくちょく着物、振袖の人を見かけました、成人式や同窓会なのでしょうね。



今日は『和田』繋がりで中日ドラゴンズ和田一浩元選手について個人的に書いていきます。
(この次は、和田毅選手に書く!ということではないのでご了承くださいませ…)


和田選手としては2000本安打を2015年のシーズンに達成したことがかなり記憶に新しく印象に残っております。

2000本安打まであと15本というところで死球による手の骨折…
私はかなり和田選手のファンでしたので(中日ファンではありません)これはかなりショックでした。


大社卒の選手が2000本安打を達成するのはかなり難しいと思います。やっぱり数も少ないですし。
2000本安打は確かに200勝利に比べたら達成が簡単かもしれないし…けれども2000本安打がすごくないなんてことは絶対にないと思います。
名球会なんて所詮、微妙なブレザーが貰えるゴルフ会ですからね。
でも投手と野手にこんなに差があっていいのかねぇ…なんて思います。
話が逸れましたね〜。

とにかく、なにはともあれ2000本安打は節目なので達成できてよかったと思います。

すっかりドラゴンズの選手ですがもとは西武ライオンズの選手でしたね。
というか、キャッチャーでした。

入団したばかりの頃は松坂大輔とのバッテリーで、期待されたみたいです(よく知りません)
しかし、和田さんがすごく活躍しだしたのは30過ぎだったような…
西武時代の印象は正直、日本シリーズくらいないのです、ゴメンナサイ。

ドラゴンズに移籍したのも35歳かそこらだったと思うし、移籍した時ももう歳なのでそんなに活躍しないだろ〜なんて思っていましたが、中日時代のかなり活躍しましたね〜
正直、まだ出来るだろうと思いますが、落合GMの引退勧告を素直に受け入れた感じですかね。


和田さんはドラゴンズの大ファンだったため、中日のユニフォームを着るのが夢だったみたいですね。
『和田の初恋』というドラゴンズの広告が昔出ていましたが結構印象的でした。
他にもいろいろなシリーズがあるのでよかったらググって探してみてくださいませ。

和田のフォームは個性的というか、面白いですよね。なんで打てるの〜?!なんて思ったりもします。私は和田さんのホームラン集などをYouTubeなんかで探してたまに見るのが大好きです。


私は、また和田さんに憧れのドラゴンズのユニフォームを着て現場復帰をして欲しいと思います。


以上になります。
読んでくださってありがとうございました〜!